▹エッセイ
年齢の壁
年齢の壁
技術の壁
見た目の壁
年齢の壁
ダンスを始める時
先輩から聞かされた3つの壁
今日は、「年齢の壁」について
自分で教室を始め
色んな年代の生徒さんが
入会してくれた
その中で、60代の生徒さんがいた
60代には、全く見えない
世間的にいう
「美魔女」な女性
でも、本人は色々と
悩んでいたらしく
「若い人と同じ衣装は、恥ずかしい」と
よく言っていた
その頃、私はまだ30代前半で
全くその人の気持もわからず
また、とっても綺麗な人だったので
「大丈夫ですよ。〇〇さんなら」と
きっとその人からしたら
軽い言葉で
受け流していた
その女性は、しばらくして
ダンスを辞めてしまった
私も、50歳になり
年齢の壁を感じることが
増えてきた
その中に
衣装というのもある
確かに、似合わないというものが
増えている
「気にしなきゃいい」とも
思うのだが
気になるのだから
仕方ない
やっぱり、気持ちよく
似合う衣装で踊りたい
こう思うたび
あの時の生徒さんを思い出す
「こういう気持ちだったんだな」
私が、ちゃんと
その人の悩みに寄り添って
その人に似合う衣装をしっかり
考えていたら
あの人はダンスをあきらめなくても
よかったんだろうな
「年齢の壁」は
必ずやってくる
その時のために
私はストーリー仕立てのダンスを
やっている
一人一人衣装が
違ってもいいように
踊り方が違ってもいいように
ダンスの先生を始めて
今日で16年
色んな女性達が
私に色々教えてくれた
そのおかげで
今絶賛【50肩】の私も
今できる範囲で
ダンスを楽しめている
夢について
夢について
子供の頃、大のTVっ子だった私は
キラキラアイドルに憧れて
よく真似して歌ってた
大人になって
ダンスの先生になって
500人規模のホールで
照明をあびて踊ってる瞬間に
ふと、あの時の
キラキラアイドルに憧れてた私を
思い出して、思った
「なんか、叶ったかも」
小学生のころ、小説を書いていた!
演劇も好きだったけど
書くことが好きで
それを作り上げる作業が
本当に好きだった
大人になって
ダンスの先生になって
ストーリー仕立ての
ダンスを作る流れになった
そして、目の前で繰り広げられる
私の頭の中の世界
「なんか、叶ったかも」と
嬉しくなった
中学3年生の頃
進路を決めないといけなくて
ラジオのDJに
本気でなりたいと思っていた私は
「ラジオのDJになりたいです」と
先生に告げてみた
「やめておきなさい」
周りの大人からは大反対
で、結局諦めた
大人になって
ダンスの先生になって
ラジオをやるチャンスがめぐってきた
「なんか、叶ったかも」
そう思った
だから思う
叶わなかったと諦めたことも
突然、何かの形で叶うことがある
だから、長い目でみないと
叶わなかったどうかは
わからない
そして、今私は
大人女性が
これからの自分にワクワクする
手段を手に入れる!
そういうダンス教室を作るという
夢がある
今は、ほど遠い状況だけど
これまでの
成功体験があるから
根拠のない自信はある
いつか思いたい
「なんか、叶ったかも。。。」
成長チャンス
成長チャンス
ダンスの先生になって、16年
沢山の大人女性と出会ってきた
職場の人でもなく
友達でもない
お客様~とも、また違う
ちょっと複雑な関係
私は、先生なので
生徒さん同士の関係とは
また違うのだが...
でも、本当に色んな
女性達と出会った
おかげで、色んな事を
学ばせてもらった
普通に出会ってたら
きっとただの知り合いで
終わっていただろうなって
思う人たちの
考え方は、実に面白い
例えば。。。
「壁にぶちあたった時どうする?」
この答え方も人それぞれ
「自分のペースで進んでいくしかない」
というマイペース派
「とにかくやるしかない」
という猪突猛進派
「乗り越え方を考える」
という理論派
その他にも
とにかく愚痴る派とか
共感求め派とか
本当に色々
まっ、でもおかげで
いい考え方
ちょこちょこもらって
成長できたことは
本当に感謝したい
自分と考え方が全く違う人と
出会ったときは
成長チャンスなのだ
向きと不向き
向きと不向き
物事に「向き・不向き」はあるか
皆さんは、どう思いますか?
私の考えは...
「ない!」
私はダンスの先生をやってます
今年で、16年
ダンスって
向き・不向きを問われるジャンル
「ダンスやってみない?」
「いや~、私は向いてないので」
これ、よくある会話
私も始める前は
そう思ってた
だって
身長は148cmだし、
手足短いし、
顔も地味目だし
運動神経悪いし...
世間的な
ダンサーのイメージとは
かけ離れていたから
だけど、なっちゃった
「ダンスの先生」
イメージ的には
ぴったりな女性が
私のことを「先生」と呼ぶ
実に、不思議な光景
そして考えた
不向きだったはずのダンスがなぜ?
心当たりが一つだけあった
「やり続けていること」
不向きだと思っていることでも
やり続ければ
向いているに
変わるのではないか
だけど
やり始めの
あの何とも言えない
「無理~」に襲われて
諦めてしまう
これが「不向き」の
正体ではないのか
なら、私が今
不向きだと思っている
料理も、諦めなければ。。。
と、考えてみたが
やはり、襲ってきた
「無理~」に
飲み込まれて
今日も、料理は
不向きのままだ
やらなきゃいけない環境
これも必要なようだ
母のこと
母のこと
私の母は、真面目な人だ
それだけに
真面目に言葉を間違う
先日も、真面目に
言葉を間違っていた
「この前ね、裁縫が得意って
言ってた人がいて
じゃぁ、お願いするわって
頼んだんだけど
まぁ~、とっても
丁寧な作業やとよ
あれじゃ、どれだけ
時間があっても大変
もう、おかあちゃん
”ムラムラ”したとよ!」
お気づきだろうか?
そう!
”ムラムラ”
ではなく
”ムカムカ”である
その状況で
”ムラムラ”しては大変だよ
で、言い終わった後の
母の顔が
少し、ドヤっていたのもあって
私は、笑いのツボに
はまってしまった
これからも私は
何かに
”ムカムカ”
するたびに
”ムラムラ”が
頭をよぎるだろう
そう思うと
苛立ちを笑いに
変えれそうなので
母に、感謝だ






